タロットカードのうち、ウェイト版タロット(別名ライダー版)やトートタロットを解き明かしていくと「黄金の夜明け団」につながります。
オカルトや占い好きな方は、もうすでに知っているかもしれませんね。
英国でおこなわれた魔術、魔術を愛する紳士淑女たちによる団体。
黄金の夜明け団とはなにか、ウェイト版タロットとトートタロットとの関係、その歴史を見ていきましょう。
なお、twitterの占い師の方々にもこの記事は好評でした。でも最初メイザースの写真間違えて、それメイザースの奥さんとの指摘が入りました。
タロットで有名な「黄金の夜明け団」をわかりやすく記事書いてみました。対象者は以下の方々。
・ウェイト版やトート版の背景を知りたい。
・タロットやってて黄金の夜明け団を知らないとはちょっと言えない。。。
・タロットを雰囲気だけじゃなくちゃんと知りたい。https://t.co/aDrIflvsjw pic.twitter.com/cwBb2NPg2a— 月影仁✡希望の占い師 (@tsukikagejin) May 24, 2020
黄金の夜明け団とは
1888年、三人の人物によってつくられた魔術研究のための秘密結社です。
19世紀最大の魔術集団といわれ、その魔術や文書は後世にまで大きな影響をあたえています。
黄金の夜明け団を設立した三人は、ウィリアム・ロバート・ウッドマン、ウィリアム・ウィン・ウェストコット、マグレガー・メイザース。
それぞれ、すでにあった魔術集団の薔薇十字会員に所属していたり、フリーメイソンや神智学協会の会員であったりしました。
そのため、黄金の夜明け団の教義は、薔薇十字団やフリーメイソン、神智学協会の教えを受け継いでおり、ヘルメス主義、エジプト魔術などが混ざりあっています。
下の図は黄金の夜明け団の主な人物の関係図になります。日本人には覚えづらい横文字の名前ですが絵にすると少しわかりやすくなります。
図が小さくて見えない方はこちらのPDF版だと大きく見えます。
黄金の夜明けの誕生
黄金の夜明け団を設立した一人、ウェストコットは薔薇十字団に所属しながら隠秘学の研究をおこなっていました。そこへ、同じく研究家の知人から、60枚もの暗号文書を受け取ります。
この文書をウェストコットは解読し、暗号文書を書いた人物の名前と住所、「こちらに連絡してほしい」いったメッセージを見つけました。
送り主はドイツ在住、ドイツ薔薇十字団に所属している、アンナ・シュプレンゲルという女性。
ウェスコットはアンナと文通を始め、「黄金の夜明け団」の設立許可と教義を得たとされています。アンナを「秘密の首領」と称え、黄金の夜明け団を設立します。
また、黄金の夜明け団はフリーメイソンとちがって、女性も受け入れていました。
団員の紹介・勧誘であったり、大英博物館で個人的な声掛けをおこなったりして団員数が増えていきます。
その声掛けのときに「薔薇十字団」や「フリーメイソン」などの名前をつかって声をかけることで、オカルト好きが集まっていきました。
「位階」システムの導入
黄金の夜明け団は当初、オカルト愛好会のような雰囲気で活動をおこなっていました。
しかし、どんどん人数が増えていった結果、「位階」といういわゆる階級制が用いられるようになります。
階級制は、カバラの生命の樹セフィロトに対応しており、黄金の夜明け団の内部が3団体に分けられます。
・第3団 秘密の首領
位階の最上位であり、ここに属する者は「人間を超越した存在」とされます。ほとんどの人が属することなく、ほぼ架空の存在でした。
・第2団 ルビーの薔薇と金の十字団
団の幹部が所属する位階です。魔術の実践重視で魔術道具の自作などもおこないます。
・第1団 黄金の夜明け団
魔術の知識を身につけた一般の団員が属する位階です。魔術の理論重視で、ここでは、火・空気・水・土の四元素を学び、魔術の上達を目指します。
・ニオファイト
黄金の夜明け団志願者はまず生命の樹には属さない「ニオファイト」の位階に置かれます。そこで魔法名をあたえられ、霊的諸力と接触する方法を学びます。上位の位階の人に指導されながら、位階を上っていきます。
黄金の夜明け団はたった15年ほど
黄金の夜明け団の活動期間は長くありません。1888年の設立から15年後の1903年頃に団が分裂し始めます。一番の原因はメイザースがアンナ・シュプレンゲルとの書簡が捏造であったことを暴露したことでしょう。
それでは具体的にどうして分裂に至った経緯をお話しします。
当初は順調だった黄金の夜明け団ですが、3人の設立者のうち、ウッドマンが設立から3年たった1891年には死去してしまいます。残る創立者はウェストコットと、メイザースの2人となります。
その後、メイザースは前述の第2団「ルビーの薔薇と金の十字団」を創設して黄金の夜明け団を二つに分断して自らがその首領となります。英国で生まれた黄金の夜明け団ですが、メイザースはパリを拠点としました。
しかし1895年にメイザースのスポンサーであったアニー・ホーニマンからメイザースへの資金援助が打ち切られます。理由はメイザースが団の仕事ではなく政治よりの活動をしていたからです。メイザースは活動が思うようにできなくなっていきます。
一方で1897年にもともと検視官であるウェストコットの活動が当局にばれます。するとウェストコットは全役職を辞任してしまいます。
ウェストコットを引き継いで第1段の首領になったのは有名女優のフローレンス・ファーです。しかし、ウェストコットの辞任により、残る設立者はメイザースのみとなりました。
残る創設者はメイザースのみ
第1団の首領は有名女優のファー、第2団の首領はメイザースが担い運営が進む中、メイザースの横暴さから二人の仲が段々と悪くなります。
ついに限界だったのかファーは第2団の解散を示唆する手紙をメイザースに送ると、メイザースは辞任したウェストコットが背後にいると勘違いして、ウェストコットがやり取りしていたアンナ・シュプレンゲルとの書簡は実は捏造であったことをばらします。
団設立の重要な後ろ盾であったこの書簡が、実は捏造であったことを皆がしり、団の信頼と権威の崩壊がはじまります。
ここから先は明らかな混乱がはじまります。1898年に入団したアレイスター・クロウリーが入団1年で、第2団参入を候補者となりますが、人柄の問題でファーはクロウリーの昇格を拒否します。
メイザースはクロウリーをファーの拠点に送り込み各種の道具の差し押さえをしようと図るという暴挙に出て、鎮圧されるという事件がおきます。
さらにメイザースが詐欺にあいます。捏造と自分でばらしたはずなのに、我こそは暗号文書をウェストコットとやり取りしていたアンナ・シュプレンゲルというホロス夫妻に出会い信じてしまいます。
そのホロス夫妻は黄金の夜明け団教義を盗み自分たちで「神権統一団」を作ったのですが、これは詐欺とゆすりの悪徳団代であり、最終的に婦女暴行でホロス夫が逮捕されます。
このとき、ホロス夫妻は自分たちは黄金の夜明け団と自称したから、世論の矛先は黄金の夜明け団に向かいました。
黄金の夜明け団の分裂
この事件を契機に1903年から分裂が始まります。具体的には下記に分裂されます。
- 神権統一団・・・ホロス夫妻(詐欺集団)
- モルゲンロス・ヘルメス教会
- AO団(アルファオメガ団)・・・メイザース
- 薔薇十字友愛会・・・ウェイト(儀式魔術路線)
- 独立改定儀礼・・・ウェイト(神秘路線)
- 暁の星・・・ファーが後に合流
その後1937年にはアレイスター・クロウリーの秘書を務めていたイスラエル・リガルディーが、団の講義と儀式の大部分を「黄金の夜明け魔術全書」として出版することで、秘密の教えゆえに維持してこれていた団の存在意義がなくなり、分裂された団も消滅していきます。
参考:現代魔術の源流「黄金の夜明け団」入門 G・シセロ、S・T・シセロ著
黄金の夜明け団の団員たち
文化人や知識人などが多く入団し、1896年までには団員数は315人にもなりました。
女優のフローレンス・ファーや、ノーベル賞受賞の詩人ウィリアム・パトラー・イェイツ、小説家のアーサー・マッケン、アルジャノン・ブラックウッドや、オスカー・ワイルド夫人など、当時の著名な人物たちも在籍していました。
さらに、20世紀最大の魔術師とされるアレイスター・クロウリーも入団。ウェイト版タロットを作成したアーサー・エドワード・ウェイト、ウェイト版タロットの絵を描いたパメラ・コールマン・スミスも黄金の夜明け団の団員です。
アーサー・エドワード・ウェイトという人物
ウェイトは1857年、ニューヨークのブルックリンで生まれました。早くに父が亡くなってしまったため、母親の母国であるロンドンへ移住することになります。
そして1874年、ウェイトが17歳のときに妹が亡くなったことから、心霊世界やオカルトの研究に没頭するように。
その後、幼い頃からの文才により、陰秘学にかかわる著作を多く出版します。近代になっても出版された書物では、「聖なるカバラ」や「フリーメイソン新百科」など。
1891年に、「黄金の夜明け団」に入団。
そこで、パメラ・コールマン・スミスと出会います。
パメラ・コールマン・スミスという人物
1878年、ロンドンのピムリコ中心部で生まれました。
スミス一家はパメラが10歳になるまでマンチェスターにいましたが、父の仕事の関係で、ジャマイカ、ロンドン、ニューヨークのブルックリンなどを転々とするような暮らしをしていました。
1893年に、パメラはブルックリンに移り、芸術学校に入学します。著名な画家であり教師であったアーサー・ウェスリー・ドウに師事しましたが、母の死もあり、卒業はできず。
その後はイラストレーターとして活動し始めました。
1898年、イギリスに戻り、劇場デザイナーをしたり、著書の挿絵を描いたりして生活します。
そこで、パメラの仕事のつながりで、詩人イェイツに出会います。イェイツの紹介により、1901年「黄金の夜明け団」に入団。
後に黄金の夜明け団は内紛により分かれたり、新しい団が設立されたりとしますが、ウェイトとパメラは行動をともにしました。
そして、「ウェイト=スミス・タロット」と評されるタロットカードをウェイトとともに完成させます。
ウェイト版タロットの誕生
「古代ユダヤの叡智がつまっている」といわれたタロットカード。
黄金の夜明け団でもタロットの研究が進んでおり、位階を上がる課題として、タロットカードを自作するというものもありました。
ウェイトもまたタロットカードを作りたいと考えており、カードの絵は才能あふれるパメラにお願いすることを決めます。
しかし20世紀、第一次世界大戦が起こり、その影響でタロットを制作する団員が少なくなりました。
そんな戦時下のなかでもタロットカードの制作を懸命に続けたのが、ウェイトとパメラです。
第一次世界大戦が終わると、より一層、ウェイトとパメラはカードの制作に力を入れます。
ウェイトはマルセイユタロットカードをよく参考にし、大アルカナのカードのデザインをパメラに細かく指示しました。
また、もの作りから物販のノウハウまで持ちあわせており、「タロットカードを広めるためには、説明書を読まなくてもカードの意味がわかるようにするのがよい」と考えます。
そして、わかりやすい絵柄、正位置・逆位置の概念がカードに。
一目見て吉凶がわかるようにしました。すると爆発的なヒットを生み、今でも愛されるタロットカードとなったのです。
パメラによるウェイト版タロット
小アルカナのカードはマルセイユ版だとデザインが乏しく、ほとんど記号や数字のみでした。
ウェイトもまた、大アルカナほどの細かい指示ではなく、パメラに絵柄を任せています。
そのため、小アルカナはパメラのデザイン性やインスピレーションあふれるものとなりました。
小アルカナのカードには、あるタロットカードの影響もあります。
1491年に北イタリアで作られた「ソラ・ブスカ・タロットデッキ」です。78枚すべてが現存する最古のデッキとされています。
1907年、北イタリアのミラノにあるブスカ家が、ソラ・ブスカ・タロットデッキのすべての白黒写真を大英博物館に提供しました。
その展示された白黒写真をウェイトが見て、パメラにもソラ・ブスカ・タロットデッキを見るよう伝えたのがキッカケです。
小アルカナの「剣の3」などを見ると、明らかにデザインが似ていますよ。
また、パメラの友人の似顔絵も何枚か描かれました。棒の女王には親友のエレン・テリー、世界のカードには同じ黄金の夜明け団のフローレンス・ファーが描かれています。
画像はカップの女王と女優のエレンテリー
画像は世界のカードと部隊女優のフローレンス・ファー
ウェイト版タロットと黄金の夜明け団の関係
マルセイユ版やソラ・ブスカ版などを参考にしたカードに、ウェイトは自身の研究、とくに黄金の夜明け団の教義を組み込みました。
黄金の夜明け団の教義とはどういうものなのでしょうか。
ウェイト版タロットとの関係性を明らかにしていきましょう。
黄金の夜明け団の教義
ユダヤの叡智であるカバラを中心に、エノク語、エジプト神話学、タロット、占い、錬金術、グリモワールなどあらゆる知識を統合したものが、黄金の夜明け団の教義とされています。
とくに、カバラにある「セフィロトの樹」は位階だけではなく、あらゆる分野に引用されています。
セフィロトの樹とは、「生命の樹」からきています。エデンでアダムとイヴが木の実を食べてしまった知恵の樹と並んで立っていた樹です。知恵の樹・生命の樹どちらも食べると、神に等しい存在となるとされています。
この生命の樹とタロットカードを結びつけた研究がよくおこなわれていました。下の図は生命の樹にタロットカードがマッピングされたものとなります。
ウェイト版タロットへの影響
19世紀中盤にエリファス・レヴィが「大アルカナ22枚はヘブライ文字22文字に対応している」といったことから、黄金の夜明け団はタロットの大アルカナとヘブライ文字を対応させようと研究しました。
その結果、マルセイユ版の順番では対応しない部分があることを解明します。
マルセイユ版の「力」と「正義」のカードです。
こういった黄金の夜明け団のカバラ的な思想や、占星術などの教義をウェイトはタロットカードに取り入れました。
そのため、ウェイト版タロットでは、マルセイユ版の順番をいれかえて、8番を「力」、11番を「正義」としています。
よりヘブライ文字に対応させて、カバラとより強いつながりのある神秘的なタロットカードをつくったのです。
参考書籍:ウェイト=スミス・タロット物語 K・フランク・イェンセン
トートタロットと黄金の夜明け団の関係
最後に、黄金の夜明け団に所属していたアレイスター・クロウリーや、クロウリーがつくったトートタロットについてお話します。
20世紀最大の魔術師
アレイスター・クロウリーは1875年、イングランドのウォリックシャー州で生まれます。両親が保守的なキリスト教徒のため、宗派の寄宿学校に入学させられます。そこで、キリスト教の聖書の中の矛盾点を見つけ、キリスト教自体を嫌うことになります。
1898年にケンブリッジ大学を卒業後、魔術や錬金術に興味があり、黄金の夜明け団に入団。
先輩団員であるアラン・ベネットに魔術を教わり、メイザースの弟子としても気に入られ、位階をどんどん上がっていきます。
しかし、団に内紛が起こると、メイザースとともに追放されてしまいます。
その後も、クロウリーは魔術にのめり込み、とくに悪魔を呼び出す儀式を研究。実際に儀式をおこなっています。
また、今も有名な「法の書」を出版し、クロウリーの魔術が世界中から注目されます。
しかし、その後、儀式で死亡者が出てイギリスを追放されたり、性魔術や麻薬に取りつかれたりして、悪名高い魔術師としても名をはせてしまいます。
アレイスター・クロウリーによるタロット
クロウリーが考案し、芸術家のフリーダ・ハリスが絵を描き、つくられたタロットカードです。
20世紀最大の魔術師が作ったトートタロットは、ほかとどのようなちがいがあるのでしょうか。
トートタロットはウェイト版タロットのような「わかりやすさ」ではなく、より魔術の力に重きを置いているカードです。
基本は黄金の夜明け団の教義をくんでいます。くわえて、クロウリーの40年にわたる魔術、スピリチュアル、カバラなどの研究が詰め込まれています。
大きな特徴としては、美しい色彩によって精緻な絵で描かれたカードのデザイン。当時の印刷技術では追いつかないほどでした。
また、カードの名称が変更されています。
・「正義」⇒「調整」
・「運命の輪」⇒「運命」
・「力」⇒「欲望」
・「節制」⇒「技」
・「審判」⇒「永劫」
・「世界」⇒「宇宙」
この6枚の大アルカナのほか、小アルカナの人物札も一部変更されています。
おもにキリスト教に関係するものを省き、カバラ思想との関係を強めたものとなっています。
そのため、トートタロットは生命の樹や占星術などからカードの意味を読み解きます。
トートタロットの解釈はむずかしく、また強力なカードなので、解説書を一冊用意してからトートタロットを扱いましょう。
まとめ
黄金の夜明け団は著名人、知識人などが集まった魔術集団。
たった10年ほどの活動期間でしたが、その教義は極まっており、やはり普通の人では理解できません。
あらゆる分野の知識を統合した教義や、高度な研究をつめこんだタロットカード。
ウェスト版タロットは、カードの正しさと神秘を追求したうえ、「わかりやすさ」をいれてカードを広めようと工夫したもの。
トートタロットは、魔術師として名高いクロウリーの40年がこもったカード。
「わかりやすさ」は無し、魔術の力を取り入れることに重きを置いています。正しい解釈を読み取るために解説書が必要です。
タロットカードにふれるとき、ぜひこの歴史や関係を思い出してください。
タロットと深くつながる自分、タロットの力を強く感じ、新しい「気づき」に出逢えるでしょう。
なお、黄金の夜明け団搭乗前のタロット全体の歴史が知りたい方はこちらの記事に書いてあります。
-
タロットの歴史|タロットカード登場の13世紀から20世紀まで。
こんな方におすすめ タロット占いを勉強しているけど、簡単にタロットの歴史を知りたいな。 タロットカードっていつできたのかな。 タロットの歴史を調べたけど、よくわからない。図解して欲しい。 という疑問を ...
続きを見る